伝統芸の代表作

常磐津「松島」

作詞は河竹黙阿弥、作曲は六世岸澤式佐。不仲だった常磐津宗家との和解を機に、岸澤が明治17年に作った曲で、景勝地として名高い松島を題材にしたといわれています。松島の四季の美しさが伝わるもので、御祝儀物の浄瑠璃として語られる。

常磐津とは?

「常磐津節」の略で、浄瑠璃の一種。歌詞の内容(物語)に忠実に音楽を奏でる「語り物」で、誕生した室町時代には琵琶や扇拍子で語られましたが、江戸時代になると三味線や人形によって語られるようになり、さらに演じる人によって様々な流派が生まれました。常磐津節は「豊後節」の分派として初代常磐津文字太夫が始めたもので、唄と語りのバランスが良く、庶民的な話題を盛り込んでいる点が特徴。また、江戸時代の元禄頃に誕生して主流となった「義太夫節」に近い反面、それ以前の「古浄瑠璃」とよばれる曲風の名残も兼ね備えています。主に江戸歌舞伎の舞台劇の伴奏音楽として、現在まで広く行われています。

長唄「秋色種あきのいろくさ

弘化2(1845)年、麻布にあった盛岡藩邸新築祝いに披露された長唄の名曲。南部家第三十八代当主・利済公または南部系第三十六代当主未亡人の作詞、十世杵屋六左衛門の作曲と言われています。

長唄「杜の眺めもりのながめ

盛岡音頭の作詞家が作った、盛岡ゆかりの長唄。

長唄とは?

三味線音楽の一種。歌舞伎舞踊の伴奏音楽として誕生し、その後浄瑠璃を取り入れて発展しました。歌舞伎などの劇の効果音楽、舞踊の伴奏音楽、舞台から独立した唄物音楽の3種類に分けられます。

金山踊り・からめ節

秋田県の「鹿角からめ節」と、紫波町の「佐比内のからめ」がルーツ。鹿角も佐比内も藩政時代は金山で、金鉱石をザルで精選するしぐさが特徴の踊りです。これを元唄にして橘正三が歌詞を補足したり、振りを統一したのが、「金山踊り・からめ節」となりました。盛岡芸妓勢揃いの時には必ずこれを披露します。

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平成版花舞台千代顔見はなぶたいちよのかおみせ

盛岡の芸能文化と共に歩んできた盛岡劇場は、大正2年(1913年)9月23日に開場し、平成25年9月に100周年を迎えました
盛岡劇場のこけら落としでは、七代目松本幸四郎一座が盛岡芸妓と共に「花舞台千代顔見」を披露しました。
「花舞台千代顔見」は、作詞 塵中庵不染(橘正三)、作曲 二代目常磐津文字兵衛、振付 七代目松本幸四郎となっています。
100年の時を超え、最近になって歌本が見つかりましたが、曲と振付は記録が残っていないため、新たに人間国宝である常磐津英寿師に作曲を、若柳流四世家元 若柳壽延師に振付を依頼し、「平成版 花舞台千代顔見」として復活させました。
そして、100年前と同じ平成25年9月23日、盛岡劇場開場100周年記念式典の中で、盛岡芸妓により再上演し好評を博しました。

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