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■啄木新婚の家

 東京で新家庭を持つという計画を変更して啄木が旧町名、帷子小路に新婚家庭築いたのは明治38年6月頃のことでした。
 しかし、甘い新婚生活とは行かず、父母を妹と同居で生活は窮迫し、啄木新婚生活はわずか3週間でおわり、7月には加賀野磧町に移り住むこととなりました。
 啄木の「我が四畳半」という随筆には、その当時の新婚生活の様子が書かれています。



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