芸妓(げいぎ)とは
芸妓とは、踊りや三味線や唄など諸芸でお座敷に興を添え、お客様方の間をとりもつおもてなしのお仕事です。盛岡芸妓のたおやかな盛岡弁でのご接待は温かみがあり、場の雰囲気が和らぐと好評を博しております。また、常磐津節をはじめ、盛岡にのみ残された踊りや唄など、貴重な伎芸を四代五代にわたり伝えています。
ここでは、盛岡芸妓の歴史や伝統芸、現役の芸妓の様子などをご紹介いたします。
芸妓とは、踊りや三味線や唄など諸芸でお座敷に興を添え、お客様方の間をとりもつおもてなしのお仕事です。盛岡芸妓のたおやかな盛岡弁でのご接待は温かみがあり、場の雰囲気が和らぐと好評を博しております。また、常磐津節をはじめ、盛岡にのみ残された踊りや唄など、貴重な伎芸を四代五代にわたり伝えています。
ここでは、盛岡芸妓の歴史や伝統芸、現役の芸妓の様子などをご紹介いたします。
その芸は明治時代に常磐津林中師の来盛によって底上げされ、全国的にもレベルが高いことで知られてきました。
町の中央を流れる中津川を中心に、花街は八幡町、本町に分かれ、互いに競って伎芸を磨いていました。
明治41年の東北6県連合共進会では優勝。戦中を耐え忍び、戦後にお稽古を再開。平成に入ってからは全国花街芸妓合同公演の紅緑会に4回出演、文部大臣奨励賞や特別章を受賞しています。
時代の変化とともに、昭和後期に両街とも函番(見番、芸妓衆のマネジメントをする芸能事務所)が解散。現在では全員が個人事業者で、かつてあった八幡町・本町の区別なく「盛岡芸妓」として活動しています。
ここ10年ほどの間に盛岡芸妓の活躍の場である料亭も次第に廃業、芸妓の人数も減っています。
しかし、残り少ない料亭と芸妓衆ながらも、ゆかしいお座敷の文化を守り伝える数少ない街として、県内外のお客様方や花柳界からも注目されています。
若い芸妓が入り、 芸を受け継ぐ一方、 それぞれが日本舞踊や常磐津に長唄、三味線などの芸道を日々鍛錬しており、中には弟子をとって指導している人もいます。
また、盛岡芸妓後援会では随時、盛岡芸妓見習いの育成事業を行っており、盛岡の貴重なお座敷の文化をになう盛岡芸妓を次世代に継承していくための活動を行っております。
活字ではなかなかお伝えしがたい盛岡弁の魅力。
少しだけ雰囲気を味わっていただくため、とある冬の日、お座敷での話し言葉から載せてみましょう。
おばんでござんすぅ おすばらぐ(お暫らく)でござんすたぁ
今日は雪降るなが おでって(お出でになって)いだだいで おありがどござんすぅ
どうぞ ごゆっくり めさって(召さって) おでって くなんしぇ(ください)!
お飲み物は 何ぬ めさんすぅ?
まんつ ビールっこで 喉潤すていだだいでがら 後 酒っこぬ めさんすが?
じゃじゃじゃ! わだす(私)も べっこ(少し)お流れ頂戴すあんす
とごろで ご案内いだだいだ そちらの おぎゃく(客)さんは 他所の方ど おみうげ(お見受け)しあんすたが ぶじょほ(不調法)だども 処の習いで 盛岡弁で お相手させで いだだぎあんすので おいしぇって(お許しになって) くなんしぇや
今晩は 地元岩手の獲れたて食材料理ど 地酒っこを ごゆっくり楽しんで おでってくなんしぇ
今日はどうもおありがどござんすた まだ つけぇうづぬ(近いうちに) おでってくなんしぇや
そどぁ(外は) すっかる すみ(凍み)でらがら おあすもど(お足下) きつけで(気を付けて)
おすずかに(お静かに) おでんせや(お出で下さいね)!
いかがでしょうか?実際耳にすると、なんとも言えない温かみがあります。
お座敷で過ごす時間の中で、またひとつ盛岡の優しさを感じていただけることでしょう。
編集:盛岡弁語り部 中谷 眞也
作詞は河竹黙阿弥、作曲は六世岸澤式佐。不仲だった常磐津宗家との和解を機に、岸澤が明治17年に作った曲で、景勝地として名高い松島を題材にしたといわれています。松島の四季の美しさが伝わるもので、御祝儀物の浄瑠璃として語られる。
弘化2(1845)年、麻布にあった盛岡藩邸新築祝いに披露された長唄の名曲。南部家第三十八代当主・利済公または南部系第三十六代当主未亡人の作詞、十世杵屋六左衛門の作曲と言われています。
作詞は「盛岡音頭」で著名な北畠喜代志、作曲は幡街芸者 福子こと稀音家 美代福(きねや みよふく)。盛岡の四季の風情の美しさを詠み込み、街や人々の繁栄を寿いでいます。
「常磐津節」の略で、浄瑠璃の一種。歌詞の内容(物語)に忠実に音楽を奏でる「語り物」で、誕生した室町時代には琵琶や扇拍子で語られましたが、江戸時代になると三味線や人形によって語られるようになり、さらに演じる人によって様々な流派が生まれました。常磐津節は「豊後節」の分派として初代常磐津文字太夫が始めたもので、唄と語りのバランスが良く、庶民的な話題を盛り込んでいる点が特徴。また、江戸時代の元禄頃に誕生して主流となった「義太夫節」に近い反面、それ以前の「古浄瑠璃」とよばれる曲風の名残も兼ね備えています。主に江戸歌舞伎の舞台劇の伴奏音楽として、現在まで広く行われています。
三味線音楽の一種。歌舞伎舞踊の伴奏音楽として誕生し、その後浄瑠璃を取り入れて発展しました。歌舞伎などの劇の効果音楽、舞踊の伴奏音楽、舞台から独立した唄物音楽の3種類に分けられます。
秋田県の「鹿角からめ節」と、紫波町の「佐比内のからめ」がルーツ。鹿角も佐比内も藩政時代は金山で、金鉱石をザルで精選するしぐさが特徴の踊りです。これを元唄にして橘正三が歌詞を補足したり、振りを統一したのが、「金山踊り からめ節」となりました。盛岡芸妓勢揃いの時には必ずこれを披露します。
盛岡の芸能文化と共に歩んできた盛岡劇場は、大正2年(1913年)9月23日に開場し、平成25年9月に100周年を迎えました。
盛岡劇場のこけら落としでは、七代目松本幸四郎一座が盛岡芸妓と共に「花舞台千代顔見」を披露しました。
「花舞台千代顔見」は、作詞 塵中庵不染(橘正三)、作曲 二代目常磐津文字兵衛、振付 七代目松本幸四郎となっています。
100年の時を超え、最近になって歌本が見つかりましたが、曲と振付は記録が残っていないため、新たに人間国宝である常磐津英寿師に作曲を、若柳流四世家元 若柳壽延師に振付を依頼し、「平成版 花舞台千代顔見」として復活させました。
そして、100年前と同じ平成25年9月23日、盛岡劇場開場100周年記念式典の中で、盛岡芸妓により再上演し好評を博しました。
明治の初め頃、町の中央を流れる中津川を中心に、花街はすでに八幡町と本町に分かれていました。それぞれ幡街(ばんがい)、本街(ほんがい)と呼ばれ、幡街は主に商家のだんな衆が、官庁街である本街は主に役人や政治家が利用していたことから、幡街芸妓と本街芸妓は気質も違い、ともに芸を競い合っていたと言われています。
明治25年から28年まで盛岡に滞在していた名人・常磐津林中から手ほどきを受け、その後も林中の縁で邦楽・邦舞界の第一人者からの指導を受け続けている両街の芸妓衆は、その芸の質の高さで全国に名をとどろかせてきました。
明治41年東北6県連合共進会演芸の部で優勝。隆盛期の明治44年正月の新聞広告によると盛岡の芸妓総数は95人(八幡54人、本町41人)で料亭の数も19亭あったといいます。
大正2年には活躍の場である盛岡劇場が開場。大正6年、東京の三越の東北名産陳列会の余興でも大評判をとります。
戦中の歌舞音曲・料亭営業禁止を乗り越え、戦後に復帰。親子2代3代で活躍する芸妓も多くなります。柳橋や新橋、芳町に向嶋など、同じ芸事の花街とも交流が深まりました。
全国花街芸妓合同公演の紅緑会には4回出演。特別章や文部大臣奨励賞邦舞の部を受賞しています。
しかし、世情や経済情勢の変化などで全国的にも花柳界が衰退する中、盛岡でも盛岡芸妓の活躍の場である料亭が次々と廃業し、芸妓の人数も減ってきました。
盛岡市では盛岡芸妓の衰退を危惧し、次世代へと盛岡芸妓文化が受け継がれるよう平成22年2月、伝統芸能継承活用事業(ふるさと雇用)を活用し、3名の見習い芸妓を採用しました。平成24年4月からは、生涯現役・全員参加・世代継承型雇用創出事業の活用へと変わりましたが、3名が見習い芸妓として日夜稽古に励んできました。
平成24年7月末日をもって1名が辞めることとなりましたが、平成24年10月20日に盛岡芸妓として「富勇」、「とも千代」の2名が誕生しました(平成30年11月18日、とも千代引退)。
盛岡芸妓の芸を観賞するためには、料亭やホテルにご依頼ください。
また、料金につきましても直接ご確認をお願いします。(料金は、お花代のほか車代等が必要となります。)
ジャンル | 料亭・昼懐石・御宴会 |
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TEL・予約 | TEL:019-623-1351 FAX:019-623-1353 |
住所 | 〒020-0873 岩手県盛岡市松尾町6-1(地図はこちら) |
定休日 | 不定休(日曜祭日は予約営業) |
ジャンル | 料亭・会席料理 |
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TEL・予約 | TEL:019-624-5243 FAX:019-654-5243 |
住所 | 〒020-0015 盛岡市本町通1-8-4(地図はこちら) |
定休日 | 不定休 |
HP | http://komaryu.jp/ |
ジャンル | 料亭 |
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TEL・予約 | TEL:019-625-9459 FAX:019-623-4884 |
住所 | 〒020-0022 盛岡市大通1-8-4(地図はこちら) |
定休日 | 不定休 |
HP | https://ryotei-kyogoku.com/ |
ジャンル | 生そば・日本料理店 |
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TEL・予約 | TEL:019-624-0441 FAX:019-624-0442 |
住所 | 〒020-0871 盛岡市中ノ橋通1-12-13(地図はこちら) |
定休日 | 水曜日 |
HP | http://www.chokurian.com/ |
ジャンル | ご宴席・懇親会等 |
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TEL・予約 | TEL:019-625-1211(大代表) FAX:019-625-1210 |
住所 | ●本館 〒020-0034 盛岡市盛岡駅前通1-44(地図はこちら) |
●NEW WING 〒020-0033 盛岡市盛岡駅前北通2-27(地図はこちら) |
|
定休日 | 無休 |
HP | https://morioka.metropolitan.jp/ |
ジャンル | ホテル・レストラン |
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TEL・予約 | TEL:019-625-2111 FAX:019-625-1003 |
住所 | 〒020-8501 盛岡市愛宕下1-10(地図はこちら) |
定休日 | なし |
HP | http://www.m-grand.jp/ |
芸妓をあげて遊ぶための料金のことを花代または玉代と言います。
昔、芸妓の卵を「半玉」と言いましたが、それは「玉代が半分の半人前」の意味から付けられました。花代のことを「線香代」と言うこともありますが、それは芸妓がお座敷にあがっている時間を線香で計り、「線香1本で○円」と決まっていたからです。
昔は踊りや常磐津など邦楽の世界で名跡を継ぐこともあったので、本名以外を名乗ることもありました。戦後は本名で統一されましたが、現在は漢字をひらがなに変えて名乗る場合もあれば、芸名を名乗る場合もあるようです。またお名前を呼ぶときは「○○姐さん」と呼ぶことが多いです。
正月には正装として紋付きの着物を着ますが、それ以外の普段のお座敷では季節や気候に合わせた着物を着ます。例えば、6月は単衣、7月~8月は絽(ろ)、9月から再び単衣、といった具合です。
また髪型は、昔は自分の髪を使って結っていましたが、戦後になるとかつらも使うようになりました。昭和30年代で30~40万円もしたという高級品でした。
お客様と話をする時には、基本的に聞き役。また、先輩の芸妓はお客様と話をしている時には邪魔をしない、というルールもありました。 さらに、お酒を飲んでも食べ物は一切口にしないのが基本。たとえお客様に「一緒に食べよう」と言われても、先輩の芸妓が手をつけるまで食べてはいけませんでした。
現代のジャンケンやハンカチ落としのような、誰でもその場で簡単にできる遊びがほとんど。共通するのは、負けたらお酒を飲むこと。そのため芸妓の中にはお酒が強い人も多いようです。
芸の披露の最中は、箸を置き、飲食もお酌もしないで芸を楽しむのが基本。
それ以外に難しいマナーはありませんので、リラックスしてお食事と芸を楽しんでください。昔は畳に薬膳でしたが、今はテーブルに様変わり。足がしびれる心配もいりませんよ。
まずは、宴会を行う料亭(喜の字・八幡町、駒龍・本町、京極・大通など)に相談してください。
芸妓さん一人当たりの料金がしっかり決められていますので、予算や目的に応じて人数や芸の内容などをアレンジしてくれるので安心です。
食べ物は一切口にしませんが、お酒を飲むのは大丈夫!宴席では芸妓さんがお酌をしてくれますので、そのお返しに勧めると会話も弾みます。飲み過ぎに気をつけてゆっくり楽しみましょう。
特にありませんが、畳が傷まないよう足袋か靴下かストッキングを履きましょう。
例えば何か赤いものを身につける、少しだけ仮装する、全員お着物など、それぞれの好きなドレスコードでお座敷を上げる方もあります。
制作・発行:盛岡芸妓応援プロジェクト
盛岡芸妓後援会は、盛岡の貴重な文化である盛岡芸妓を次世代に継承していくことを目的に、平成24年3月2日設立されました。
後援会会員にむけたお花代補助を行うほか、市民向けの企画や広報事業などの振興策を進めています。
盛岡の貴重な文化である盛岡芸妓を次世代に継承していくため、より多くの後援会加入者を募集しています。
会員を随時募集しておりますので、入会ご希望の方は、申込み書にご記入の上、盛岡芸妓後援会までFAX等でお申込みください。
会費 | 法人会員 1口 30,000円 個人会員 1口 10,000円 |
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事業内容 |
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